人は思い出を語るようになったら・・と、よく言う・・

「自由でいられる時間」が大事だった。

そこでは「なんでもできるから。」

だって、「自分らしく 思いっきり 自分をやってみたかったんだから。」

それが、社会に出て、いつしか・・何かを失い始める。

「人は楽しむために生きている」

その時だけは「はっきりと・・自由」だから。

大人になるだけで、「馬鹿なことができなくなる。」

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「分けなきゃ いけないんだ!」

分別(ぶんべつ??・・ふんべつ??)・・なんかじゃあない・・

「社会的な自分」と「ほんとうの自分」・・その世界を分けていないと、間違ってしまう。

いつでも、自由になりたがり・・いつでも、楽しもうとしてしまう。

いま、目の前にいる人は「人生を共にして、共有して行く人なのですか?」

人は、ほんとうに大事な人は「一生で、10人もいない」とよく言っています。

そして、その大事な10人の中に、親やパートナーや恋人やともだちがいなくても・・良いのです。

だったら、どうして?その人に「甘えようとしてしまうのでしょうか?」

無理をしてまで、その人と「楽しもうとしてしまうのでしょうか?

間違っているのです。

分けなければいけないだけなんです。

「社会的な自分」と「ほんとうの自分」・・その世界を分けていないと、間違ってしまう・・だけ。

「自分一人の世界」で楽しむのも・・「あり!」です。

「二人で共有するのも・・あり!」です。

「社会的な自分と 自由になった自分の世界」

その自由な空間を人はロマンと呼んだ

人はロマンのために生きていた

そして、 その住人を増やすことが幸せなのだ

自分、じぶん、自分のことばかり、考えて、かんがえて、考えて・

そこには、「楽しさが無い!」

求めていたはずの「自由が無い!」

「社会的な世界」に引き込まれると、「自分を失ってしまう。」

自分が「何をしたかったのか?を忘れてしまう。」

「行先の方向が見えなくなる。」

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「自分のために生きている」よりも、「自由になってる時間(瞬間)」に惚れていること。

そのことを楽しむことが 「自分の人生を豊かにしていた。」

忘れていたのではなく、分けていなかったんだ。

だいじな・・じぶんの・・世界。

では、また、お逢いしましょう ・・

 

 

所長(院長)