みなさんはよく「自由になりたい」と思っているのですが、「自由とは?」何のことなのでしょうか?

今回は、ちょっとだけ「自由についてのぞき見してみよう」と思います。
※これも、「当研究所の仮説」としてのお話しになります。

みなさんは、自分のやりたいことをやりたいようにするのが自由」と考えていると思います。

それには、それを邪魔している存在が多すぎます。・・よね。

「会社で働かなくてはいけないし・・」
「社会(親や目上の人なども含めて)ルールは守らないといけないし・・」
やらないといけないことが多すぎる・・し・・」
「第一、自分が何を考えているのか?が分からない・・し・・」

おやおや・・とうとう道に迷ってしまいました。

こんな人が多いのではないでしょうか。

そもそも、自分はどんなことを「自由」と考え(感じ)、そしてどんなことを「不自由」と考え(感じ)ているのでしょうか?

日本はかなり自由なことが許されている(個人的な考えです。)ところだと思っています。

その自由が許されているはずの世界で、何が「不自由さを作っている」のでしょう??

それは「自分は自分を脱ぎ捨てることができない現実」だったりします。

根本の根本じゃあないか!

きっと、それが一番「不自由なのだ」と思います。

「自分はこんな人」だったり・・

「自分はこんなことはしない・・」だったり・・

「・・たら・・れば・・」という「たらればという空想」・・

結局、考えてばかりで・・何も「自分らしい結果」を出せないでいる現実感・・

それが「不自由さ(と感じる)」を作っている??

きっと、それが「あなたの不自由さ」だと思います。

つまり「自分をしばっているのは「〝自分〟という殻」だったりします。

「仮説)人は瞬間の中でしか生きられない」存在ですから・・

「考えたりしたら・・それはもう・・過去の存在」・・になってしまいます。

考えることは、その瞬間には入れないので、過去の世界です。

「たら・・れば・・」も未来の世界ですから、その瞬間には入れないのです。

みなさんは、「仮説)楽しいことには理由が無いのに、不幸には理由がある」ということを知っているでしょうか?

おもしろいと思いませんか。

思い出してみましょう、「楽しかった出来事」を・・すると、すぐに理解できると思います。

「楽しかったこと、その時には・・何も考えていない・・という事実」です。

反対に「不幸だったことをリアルに思い出してみると・・必ず理由が存在している」・・のです。

これが、一つの「カラクリ(法則)」なのです。

それを知らないから「不自由になってしまう」のです。

ちょっと・・おもしろく・・なってきたと思います。

まだまだ、謎が深い感じ・・が、しますよね。

・・ということで・・今日はこの辺で・・    所長(院長)